「スクラップブックのような絵画」
描くこと、記録すること、記憶すること。この3つの関係は、私にとっての個人と社会との関わりを模索し、私たちの生きる世界の現在の姿を探求する方法です。常に更新を続ける時間のなか、描くという行為は圧倒的に時間のかかる方法ですが、眼を通し、また絵筆、絵の具や指を通じて普遍的で儚いものを探して求めています。震災以降、私たちは「どう生きていくか」というヒトとしての根源的な問いと向き合いつつも、さまざまな思案を繰り広げています。当たり前にある日常が一瞬で喪失するという嘘のような出来事も現実的に起こりうることを確認しました。恐怖と平穏はある種の緊張関係があると言えます。何気なく眼にする風景。眼に見える風景すべてに歴史があり、また同じように生きるヒトにおいても生きた時間だけの眼に見えない歴史があります。

「スクラップブックのような絵画」では、このような何気ない風景の断片をひとつのキャンバスのなかに描くことで、スクラップブックをつくるように描いています。描かれた風景の断片の集積が、鑑賞者の中にある原風景と結びつき、さまざまな記憶を誘発することと、風景の背景となる現在の日本の姿が想像できればと思っています。

2015年 6月


 私たちの何気ない日常の風景をスクラップブックに貼り重ねるように描き留めています。キャンバスに描かれたさまざまな風景は見たことのあるような風景を描くことで、鑑賞者のなかにある原風景と重なり、私たちの過去や現在、未来について見つめ直すことと繫がるかもしれません


2014年 12月


  2007年から“ みえないものにふれてみる”というタイトルの大型作品の制作を継続しています。次いで、2009年から“スクラップブックのような絵画”というタイトルの作品も展開しています。これらの作品シリーズでは「ふれて / みる」という造語をもとに様々な紙面に印刷されたモチーフに絵の具で触れ、モチーフをみつめながら描かれています。スクラップブックのようにビジュアルイメージが並列し、描かれたモチーフが拡散するように描かれています。従来のスクラップブックのような本の形体と異なり、支持体となる紙やパネルに様々な印刷物やプライベートな写真を貼り、色彩が塗り重ねられ、様々なモチーフが描かれています。

 

学生時代に出会った一冊のスクラップブックのおもしろさから、今の作品の展開があります。時代を越えた異国の匿名の人物のまなざしにふれることができたような体験をそのスクラップブックから感じた経験から展開されています。作品タイトルにある「みえないもの」という言葉は先ほどに述べた時代をみつめる「まなざし」のことを指しています。

 

作品の中には、風景、人物、乗り物、動物、花、世界遺産的な建造物や骨董など脈絡なく様々なモチーフが、画面に定着されています。日々更新される私達の世界のなかで描くべきもの探しているのかもしれません。私には強く語ることは出来ませんが、大震災などで日本人誰もが無条理な出来事を経験しました。当たり前の平和な日常が突如として破壊されました。この経験において、強く印象が残ったことのひとつに、人はものを失っても私達のさまざまな記憶を大切にする姿です。小さな物語から大きな出来事まで記憶しています。私達が眼にしてきた出来事や物語が記録され、私達の歴史となります。だから、私は現在という時間に存在する風景を貪欲に描くことで、今という儚い時間を少しでも表現したいと思っています。

 

近年の制作では、より身近な日常の風景を作品に描くようになりました。日頃の生活の上で過ぎ去る風景のかけらを掻き集め、物語を語らない過去の風景に光を与えるように描いています。私達の小さな物語も大きな歴史のかけらです。すべての物語を語ることは到底、無謀な試みなのですが、私達の小さな物語をもつ風景のかけらに照準を合わすことで、今の時代の日本を反映的に批評性のもった絵画として描くことができるのではないかと思っています。描かれた風景のかけらは私達の視覚を刺激し、私達の記憶に触れながらも、現在という時間を共に生きる私達が、この世界を誠実にみつめるきっかけになればと思います。そして、これからも世界に満ちあふれる様々な風景を貪欲的に掻き集め、私達の物語を語れればと思います。

 

 

2012年 衣川泰典